2016/04/16 更新
フェラーリのエンブレムにまつわる豆知識、まとめてみました!
フェラーリのエンブレム、ご存じですよね?世界で一番有名なエンブレムの1つなのでは無いでしょうか。このまとめでは、有名なフェラーリのエンブレムについて、由来をまとめてみました!人生には全く役に立たない、無駄な知識かもしれませんが…
フェラーリは言わずと知れた、イタリアのスポーツカーメーカーです。
フェラーリのエンブレムと言えば、もちろん跳ね馬ですよね!
赤い車体に、黄色バックで黒い跳ね馬が描かれたエンブレムが入っているのが、フェラーリのステレオタイプではないかと思います。
レースのフェラーリになると、跳ね馬の下に「SJ」のイニシャルが入っているエンブレムが描かれていますよね。
このイニシャル、「SJ」に見えますが実は「SF」で、Scuderia Ferrariのイニシャルになっています。
Scuderiaはイタリア語で、直訳すると厩舎という意味で、意訳しようとすると説明が長くなるのですが、ざっくり言うと、レースチームという訳で大体合ってるみたいです。
なので、Scuderia Ferrariは、レースチーム・フェラーリという解釈が大雑把なところになります。
フェラーリは、この黄色地に黒い跳ね馬、というエンブレムを乗用車にもレース車両にも一貫して使用しています。
かなりのこだわりを感じますよね。
このまとめでは、エンブレムの起源を辿ってみました!
フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリによると、この跳ね馬のエンブレムは、もともとは飛行機の機体に描かれていたものだった、のだそうです。
エンツォ・フェラーリ
フェラーリの創業者のでもあり、レーシングドライバーでもありました。
1923年にフェラーリがレースで初優勝した際に、バラッカ伯爵夫人から、フランチェスコ・バラッカのサイン入り写真をプレゼントされ、その時にフェラーリのエンブレムに跳ね馬を使ってはどうかと助言されたのだとか。
バラッカ伯爵夫人というのは、フランチェスコ・バラッカの母親にあたる人物。
また、フランチェスコ・バラッカというのは、イタリアのエースパイロットで国民的英雄でした。
フランチェスコ・バラッカ
第一次世界大戦下での、イタリアのエースパイロット。
フランチェスコ・バラッカは、自分の機体に跳ね馬をプリントしていました。
この跳ね馬は、彼が撃墜したドイツ機から剥ぎとったもの、という説がありますが、そうではなく、彼が初めて配属された陸軍隊のエンブレムだった、という説が有力です。
もともとは白地に赤い跳ね馬が描かれていたらしいのですが、フランチェスコ・バラッカへの追悼の意を表して、黒い跳ね馬に変更し、バックの色も、エンツォ・フェラーリの出身地であるイタリアのモデナ市を象徴する色、ということで黄色に変更したのだそうです。
バラッカ伯爵夫人が跳ね馬をフェラーリのエンブレムにするように助言したのは、彼女の息子が跳ね馬を幸運のお守りにしていたことから、フェラーリにも幸運がもたらされるように、という理由でした。
バラッカ伯爵夫人の助言から約十年後の1932年、フェラーリは初めて跳ね馬のエンブレムをレース車両で使用しました。
黄色地に黒い跳ね馬の、今はお馴染みのエンブレムでした。
Alfa Romeos of the Scuderia Racing Team in 1932
このレースでフェラーリは見事優勝!
以降、このエンブレムがフェラーリで一貫して使用されることになったのです。
少し話が変わりますが、ポルシェのエンブレムにも黒い跳ね馬が描かれています。
(ポルシェではエンブレムではなく「クレスト」と呼ぶのが正式ですが、分かりやすさの為にエンブレムと記載します)
ポルシェのエンブレム(クレスト)
ポルシェのエンブレムに描かれた跳ね馬は、シュツットガルト市(ドイツ)の紋章に由来します。
シュツットガルト市はポルシェの拠点です。
シュツットガルト市の紋章
一部の説では、フェラーリのエンブレムもシュツットガルト市の紋章が由来、というものもあります。
バラッカの機体に描かれていた跳ね馬は、彼が撃墜したドイツ機から取ったもので、そのドイツ機はシュツットガルト所属だった、という説です。
もしそうだったら、ストーリーとしてはとても面白いのですが、信憑性は低いかもしれません。
いかがでしたか?
エンブレムの由来も、調べてみるとけっこう面白いですね。
今年のフェラーリはF1も面白そうなので、バラッカの幸運を背負って、常勝メルセデスの牙城を切り崩して欲しい所です。